過去記憶の方法―感情からの脱却
- 姜 克实
- 2020年2月8日
- 読了時間: 18分
一、石橋湛山思想の真価――「ナショナリズムの超克」
私は、大学で日本近代史の研究と教育に携わる者で、長い間、元首相で、近代史上の稀有なリベラリスト、平和主義者石橋湛山(1884-1972)の思想を研究してきた。
とくに関心を持つのは、彼が戦前から唱えた非戦の小国主義(小日本主義)の主張で、なぜ大国主義、軍国主義一色の世の中でこのような主張を生み出せたか、それを支える石橋の思考様式の究明を試みてきた。石橋湛山はもともと経済人であったが、小日本主義の主張も、経済の方法論から生まれたものであった。当時、西洋的近代化を目指した日本では、領土狭小、資源貧乏、人口過剰のハンディという、解決できない命題を抱えていたが、これらは日本を軍国主義の道に駆り立てた原因でもあった。
しかし、石橋の考えは違う。「我が国に鉄なく、綿なく、毛なく、穀物なきは少しも憂うるに及ばぬ。只だ最も憂うべきは、人資の良くないことだ」という(『石橋湛山全集』②、212頁)」。すなわち、人間の労働と頭脳の資源を活用するならば、日本は、「持たざる国」のハンディをゆうゆうと乗り越えられる、と彼は大正時代から主張してきた。こうした小国主義、平和主義的発展を支える要素は何か?石橋の論から、一、経済の面において、世界経済と自由貿易、二、国際環境面において、世界の平和とその維持機能の存在(戦前では石橋は国際連盟の健全化を期待した)、三、教育の面における独立自主の人間養成であった。
戦時下になり、石橋湛山は厳しい言論弾圧を受け、正面から小国主義の議論を晦まさざる得なくなるが、世界経済の原則を堅持し続け、ブロック経済論(1930年代)に反対し、東亜協同体論(1938)、大東亜共栄圏論(1940-45)を否定し続けた。また、敗戦する前、経済的国連機構にあたる、世界経済の一体化を目指す「戦後世界経済機構」(1944.5)案を密かに書き上げた。敗戦を迎え、国民のほとんどは前途に悲観し、茫然自失のどん底に落ち込む中、石橋湛山は敗戦が「何等予に悲しみをもたらさざる」、「実に日本国民の永遠に記念すべき新日本門出の日」であり(『石橋湛山全集』⑬、4頁)、小日本主義に基づく更生日本の針路は「洋々たる」ものであると予言した。
また、世界の永久平和の環境を実現させるため、世界連邦政府の構想(1947)に賛同、支持し、朝鮮戦争下で“世界国家建設”(1950)の提言を行い、また冷戦下において、東西関係の改善、共産圏貿易を主張し続けた。1957年、病で総理大臣を辞任してから石橋湛山は政界の第一線から身を引き、自民党と一線を画して、自分の理念に基づき、東西冷戦の解消、日中米ソ平和同盟の建設を唱え、また軍備全廃、核廃絶を唱え、「天下一家春」の世界融和の理想のため、余生を捧げた。一方、冷戦対立の下で、こうした石橋湛山の理想主義の主張と、東西関係の改善を推進する活動は、世間から受け入れられず、自民党内で支持者はほとんどなく、周りから冷ややかな目で見られた。それどころではなく、一時小春日和のフルシチョフの平和共存論の熱が冷めると、世界の情勢も、キューバ危機(1962)、中国の原爆開発(1964)、ベトナム戦争のエスカレート(1965)など、覇権国家間の争いが絶えず、日本の政界でも、1965年に岸信介元首相は日本の保守党は憲法第九条を削除して正式に再軍備ができるように大同団結すべきだと唱えて(1965.10、岸はアメリカの雑誌 Foreign Affairs に "Political Movements in Japan" (日本の政治運動)を発表)世の中を騒がせた。
岸の再軍備論と対決する中、晩年の石橋が新たに到達した思想境地はナショナリズムの否定論である。世界平和への道を妨害したのは各国のナショナリズムであるとの見解を示した。ナショナリズムの超克、これは、世を去る前、湛山老人が後世に言い残した最後の警世のメッセージであった。
石橋湛山の亡き後、米中、日中の和解(1971,1973)、冷戦の解消(1989)で、世界は次第に石橋湛山が予見した国際和解の社会に近づくかと思いきや、21世紀以降の、中国の大国化に伴う覇権主義路線への切り替え、小泉、安倍政権とつづくナショナリズムの扇動で、アジアを巡る国際環境が再び険悪の方向に向かい、最近のトランプ政権下で遂行される米国中心主義の諸政策、米中貿易戦争、欧州国家の右翼政党勢力の増長と韓国文政権による過去の“怨恨”の蒸し返しなど、各国のナショナリズムが高揚し、世界の安定、平和が再び脅かされている。世界全体が国家のエゴイズムの危機に面した今日こそ、かつて石橋湛山が訴えてきた「脱ナショナリズム」の思想価値を再認識すべきではないか。二十世紀前半、日本を戦争に導いた「持たざる日本」という近代化の命題と同じように、晩年の石橋が訴えた「ナショナリズムの超克」も、21世紀における世界平和を維持するための、人類全体の命題ではないかと、思えてならない。
二、歴史認識の問題 近代史教育
なぜ戦争終結から75年が経っても、アジアの戦後が終わらないか。しかも、年が経つにつれ、民族の対立が改善するどころか、むしろ悪化の方向に向かっている。特にこの数年、安倍と習近平政権の間に展開される領土、利権をめぐる確執や、日本と韓国の間の過去の慰安婦、徴用工問題をめぐる論争の下で、一層対立が深刻化した様相である。21世紀における歴史認識の対立要因は一体どこにあるか、これは日本近代史の研究と教育に携わってきた私が、長い間考え続けてきた問題である。
最近の、日中、日韓の国家関係悪化の特徴を観察すると、目立つのは普通の若い人の間にある、他民族に対する感情面の対立、嫌悪感の増幅であり、またその背景にある、国家間の政治対立の存在も、指摘しなければならない。すなわち、国家間の政治対立が若い人びとの感情に投影した結果といえる。この場合、政治と国民感情の連動には、ある媒介の要素が不可欠となるが、それは、国家に称揚される、愛国主義とナショナリズムではないかと私は思う。一方、こうした国民的排外意識をもたらす愛国主義、ナショナリズムはどのように生まれたか、私は、一、国家間政治対立の刺激と、二、マスコミの煽動という直接的働きと、三、学校教育で培われた大衆社会の土壌からうまれたのではないかと見る。
特に強調したいのは、学校教育の影響である。家庭、地域社会の慣行である通俗道徳と違って、愛国主義は教えないと自生するものではなく、どの国でも同じように、国家が管理する学校教育や、思想教育を通じてそれを教えこむのである。すなわち若者が成長する十数年のあいだ、学校教育を通じて、自国への偏愛と他民族への憎悪、偏見などを教え込まれ、叩き込まれ、愛国主義とナショナリズムの土壌を形成したと指摘できる。
愛国主義教育の中で、過去の歴史は大きな比重を占める。言い換えれば、国の政治にコントロールされた歴史教育こそ、民族怨恨の種を播種し、褊狭的愛国主義、ナショナリズムを育てる温床だったのである。歴史教育の中で、過去はどのように語られ、継承されているのか、その現状を見よう。
三、感情の対立
アジアの国々における学校歴史教育の共通した特徴は感情培養にある。日本の平和教育も、中国の南京大虐殺教育も、朝鮮(韓国)の植民地支配の教育も同じように、自国の立場、歴史観に基づいて、愛と憎悪、悲惨と栄光の感情を被教育者に伝える。この場合、根拠となる歴史の事実が必ずしも公平に取り扱われていない面が多い。歴史(過去)は手段で、目的は愛国主義の培養、国に忠誠する国民の育成にあるので、こうした現象が生まれるのである。
例えば、日本の学校教育の主題である「平和教育」の場合、題材としてとり上げるのは、例外なく310万自国の犠牲者の数と、原爆、沖縄戦、東京大空襲の惨状であり、戦争の被害者として過去の日本を描き、その基礎の上に、若者に平和意識を教えるのである。この場合過去のアジアにおける日本国家の犯罪や、原爆投下における日本政府の責任について表現が曖昧であり、あまり積極的に教えたがらない。中国における南京大虐殺の場合、記念館そのものを、「愛国主義教育」の基地と指定し、また国家の政治権力を用いて「公祭日」[1]を設け、国民の怨恨の感情を駆り立て、覚えさせるのである。その反面、虐殺の構造、原因、虐殺の数字に対する学問的研究の結果など、ほとんど教えない。その結果、歴史の政治利用、教育利用という現象が現れ、日本の原爆被害も、中国の南京大虐殺の30万犠牲も、一種の国民的被害感情として、憎悪の源と神聖化し、愛国主義教育のテキストに、また歴史認識における政治の取引に利用されたのである。
こうした感情教育が産んだ、国民的感情の対立には、どんな特徴と問題点があるか。
1. 大衆化の現象である。学校教育を通じて行われるので、誰もが一度は必ずその洗礼をうけることになる。国家間の歴史認識や、領土問題、国益をめぐる対立が激化すると、政治家たちはよくマスコミを通じて国民の感情を挑発し、外交取引に利用するが、この場合、数千万、数億人単位の憎しみ合う感情の合戦が引き起こされる。
2. 非秩序化の特徴。感情の対立には、非理知的な一面がまず指摘される。政治背景、歴史の事実の真相も知らずに、憎悪の感情が先行し、相手も同じ立場なので、冷静な対話がもちろんできない。自発的にデモ行進、破壊、暴動に移ることもよく見られる。こうなると、国民の感情を挑発した張本人の政治家も、国家ももはやコントロールできなくなる。
3. 被害意識の神聖化現象。日本の原爆、中国の南京大虐殺、朝鮮の植民地支配のように、被害感情の聖域に位置づけられ、政治の道具として機能するが、冷静な学問研究が難しくなる。事実不明なままの憎しみ合戦である。
4. 半永久化の特徴。学校教育を通じておこなわれたので、若いときから人々の脳底に焼き付けられ、国民性として半永久的に残る。普段の場合、意識の深層に潜在するが、いったん政治の刺激を受け、挑発されると、たちまち国民的感情として地表に噴出する。政治家の場合、利害が優先され、昨日の讐敵も、今日の国賓にすぐ風向きが切り替えられるが、しかし、国民の脳底に叩き込まれた怨恨の種は、決して瞬間に消失するものではない。
以上のように、感情化した、大衆化的、非理知的、半永久的に存在する民族対立、民族怨恨の種が、国家管理下の学校教育を通じて、各国若者の脳底に叩き込まれ、歴史認識対立の民族的、社会的土壌を形成し、しかも火山のように半永久的に存在することになる。これすなわち、現今の、険悪化しつつある、アジアの国家間、民族間対立の現状ではないか。
四、歴史から何を継承すべきか
いま、良識的な人々を含め、アジアのどの国でも、どの団体、組織でも一様に、「過去を忘れるな」、という。しかし、この忘れてはいけない過去の内容は一体何か。またこの過去には、他民族、他国民の感情を包容できる普遍性はあるものか。あまり真剣に思考する人はいないと思う。このいわゆる過去の現実は、各国が共有できない自国、自民族の過去であり、事実より感情に傾く過去、和解より怨恨に傾く過去だったのである。
いままで、過去は、どのように継承されてきたか。戦争を経験した世代はいなくなる今日、過去はほとんど教育を通じて二次的に再生された過去であり、政治にコントロールされ(検定、国定教科書)、ナショナリズムの養成と愛国主義教育の指導方針に沿う教育なので、最初から政治的バイヤスが掛けられ、課題の選択、史料の取捨などが行われ、自民族の立場で見た歴史像が提示され、また被害者の感情と、怨恨と憎しみが含まれる過去が構成されたのである。問題は、政治の目的が優先され、教科書における肝心な根拠となる部分は、必ずしも歴史の事実を如実に、正確に反映していないことである。たとえば、日本国民のほとんどは、原爆投下の背景にある、当時の政府が国体、天皇制を護持するため、ポツダム宣言(本土攻撃の最後通牒)を「黙殺」し、原爆投下を含むアメリカの日本本土攻撃を招いた責任を知らないし、同じように、中国の人々も、ただ怨恨の感情、政治的に作られた数字に拘り、虐殺30万の数字の由来、信憑性を知らないし、またその後ろにある日本軍の戦争犯罪の組織構造なども知ろうとしない。結果的に、歴史事実の究明、学問の研究が被害者感情の聖域に阻まれ、公正な、正しい歴史像は、後世に継承されない歪が生まれる。
言い換えれば、忘れるな、と継承させていく各国の過去は、民族感情の過去であり、恨みと怨恨の過去であり、国民を育成するための教育であり、かならずしも国境をこえられる、普遍性のある歴史事実ではない。むしろ忘れるなと、感情が盛り上がるほど、事実の究明と学問の研究が難しくなり、将来の民族対立の危険性も高くなる。まさに対立の種を蒔くような行為なのである。
ここで私が提言したいのは、褊狭的感情面の過去を忘れさせ、普遍性のある事実の過去を追求することである。こうして初めて歴史教育が国境を乗り越え、若者の間の共通の価値観を築くことができよう。もちろんこれが実現するには、歴史教育における政治の影響を排除し、学問の独立、教育の独立、また人格の独立を前提としなければならない。戦争が終わってからすでに75年が経ち、過去として後世に何を残すべきか。憎しみの感情なのか、歴史の事実か、政治の継続か、和解の模索か、いま選択の岐路に差し掛かっていると私は思う。
私は決して民族の感情、被爆者の思いを否定するのではない。ただ歴史の記憶を感情に化し、政治に利用される問題点を提起し、被害の感情、他民族への怨恨を第四代以降の若い人に人為的に継承させるべきではない。そのかわり、歴史の事実を明らかにし、普遍性のある過去の歴史を、文化遺産として我々の後世に残すべきだと提言したいだけである。
たしかに、異民族の支配、虐殺への怨恨、原爆の悲惨さは、決して容易に忘れられるものではない。戦争体験をもつ世代には、なおさらである。祖父から孫へ、その被害の体験、怨恨の感情をいい聞かせる、記憶させるのは人間の常識であり、阻害できるものではない。しかし、祖父の時代が終わった第四代になると、直接の経験者はいなくなり、この場合、あえて悲惨な情景と怨恨の感情を、教育の手段を通じて二次的に再生すべきではない。対象となる軍国主義の政府と戦争犯罪の国民はもはやいなくなったからである。怨恨の感情は、後世の和解を妨げる要素であり、また再生の過程において、政治のバイヤスがかかり、事実の一部が捨象され、曲げられる恐れがあるからである。この場合、むしろ感情から抜け出し、国境を超えて冷静に歴史の事実、殺戮、悲惨をもたらした歴史、政治の構造を明らかにし、悲惨を再び現出させない学問的努力がもっと必要ではないか。世代の交代で人間が生まれ変わり、今後の共生社会、国際社会を築くには、共通性のある歴史事実を銘記し、怨恨の感情から解放されなければならない。怨みは自然消滅の性質があり、人為的に育てなければ、決して長く存在するものではない。百年、また数百年前の民族怨恨が、はたして自然に存続した事実があろうか。怨恨の継続は、政治の所為、愛国主義育成の手段であり、新しい歴史、新しい民族の共生に百害があり一利も生ずるものではない。もし、第四代から感情の怨恨を冷静な科学に換えることができれば、普遍性のある歴史(過去)が生まれ、将来の政界平和、共生社会の構築に貢献できるだけではなく、過去を普遍性のある永遠の文化遺産として後世に残すこともできよう。
五、 愛国主義の陥穽
以上に述べた諸現象はみな、国の政治が、歴史教育に干渉して発生したものであり、国家に忠実し、国益をまもる国民を養成するため、過去を題材、手段として教育を行った結果といえる。終局のところ、愛国主義精神の培養にあるが、しかし、この愛国主義とは、果たして他の国、地域に通ずる普遍の価値があるか、世界の平和に貢献できるものか、その正体を分析しよう。
普通の場合、生まれた郷土、自民族の文化に対する愛着も、素朴な愛国情緒といえるが、この場合、特定の、排他的含みはなく、自然発生する普通の人々の感情だといえる。それに排他的、思想教化の意味を含ませ、また政治操作によって、一国民国家の「主義」に変貌させたのは、政治の作為であると指摘される。言い換えれば、「愛国」の価値観や、「主義」の内容を決めるのは特定の政治体制であり、またその特定の“主義”で、国民を誘導するのは国家教育(学校教育)であり、あるいは、より教化、強制の意味を含む思想教育、政治教育[2]だったのである。
無論、政治体制、国家制度の相違によって、愛国の内容も一様ではない。民主主義、平和主義の政治体制の下では、外来の侵略に抵抗し、国を守る自衛的行為が愛国主義とされるが、侵略国家、覇権国家の場合、国家の領土を拡張し、侵略戦争への荷担、支持も、同じ愛国の行為と解釈される。また、主義化した愛国は、特定の時期(特に非常時期)において、国の政策と相まって急に宣伝機関によって鼓吹され、褊狭的、排他的、自国中心的な思想教化の色彩が濃い特徴も指摘される。
教育、宣伝を通じて普及する愛国主義には、大衆化の特徴とともに、さらに超道徳の、反抗できない至上価値に神聖化する面も指摘される。いわば、「愛国ならば罪無し」という認識である。お国のため、侵略も、殺戮も「愛国」の行為と理解し、そのためたとえ人道的罪を犯しても道義面の譴責を感じることはない。戦前の軍国主義日本も、こうした「お国のため」のスローガンの下で大量の国民を戦争の第一線に送り込み、侵略、殺戮の道具として利用したのである。
愛国主義には、こうした超価値の利用価値があるため、各国の政府は国家教育の面において、政治支配に有利な教育内容(主義の内容)を人為的にとり入れるのは常である。この場合、人間性に近い原始的愛郷意識――郷土愛、自然愛、平和愛、隣人愛、自民族の文化に対する誇りを、国の政治制度への支持、政党、領袖への忠誠、領土、国益、国権への執着という内容にすり変え、他国、他民族への歴史的怨恨を教え込むのである。いわば、愛国心の「主義」化、「政治」化の現象である。
六、人間性と国民性
或いは人はいう。人間性と国民性とはどこが違うか?答えはこうである。人間には生まれながら善意の本性が備わるが、国民としての自覚は必ずしも自ずから生まれるとは限らない。子供は家庭の環境や、社会道徳の薫陶を受けて善意が生まれ、友愛、同情、憐愍、互助、孝行はその代表的徳目である。社会生活に必要な通俗道徳と言えよう。これに対して、国民性は、国家の教育(学校教育)を受けて第二次的に形成したもので、学校の歴史教育、愛国主義教育、政治思想教育を通じて植え付けられたものである。学校において、被教育者たちに「忠誠」と「憎悪」の対象が示され、国家に対する忠誠、領袖への崇拝、国家体制、政党への擁護の内容が教え込まれるのである。
こうした教育の結果、自然形成の人間の善意の上に、人為的、しかも往々にして人間性と対立する国民としての政治道徳の色彩が塗り重ねられるようになる。こうした二次的国民教育は、国を愛し、国益のため献身する「忠良なる」国民を養成できるだけではなく、善良な人間を貪欲の国家の政治道具として利用する道も開かれる。戦場に駆り出された日本軍は、もし忠君愛国の学校教育を受けなければ、残忍な殺戮行為を起こす理由はなく、文化大革命中の紅衛兵も、革命のための洗脳教育がなければ、毛沢東と共産党を自分の親より愛するはずはない。ここで、「愛国」という言葉のからくりで人間性は国民性により乗っ取られ、人間の善意は国家の貪欲に服従させられる。教育による国民の量産は、また過去の民族間の歴史悲劇の演出、今日の歴史認識対立の社会背景にもなる。
一方、指摘すべきは、こうした誘導式の政治的教育を通じて国民性が養えるが、人間性の総てに取って代わることは不可能である。其の結果として現れたのは、国民性と人間性の交錯、混淆、見え隠れの矛盾現象であろう。前者の国民性は非常事態における国益、政治対立、領土紛争の時に触発され、一時激しく作動するが、後者の人間性は日常の社会生活、経済活動、人間、文化交流によく見られる。
日中間の政治関係がいくら不安定だとしても、日本になだれ込む大量の中国人観光客には敵意を持って訪れる人はいないはずである。この時彼らの脳裏に映るのは、決して宣伝の中や、抗日戦争のドラマに映し出された醜悪の侵略国家、残忍な「鬼子」の像、或いは諄々と教えられた民族の怨恨ではない。善意と友好の心情をもって、日本の美しい自然、清潔な環境、行き届いた社会サービスを享受し、日本の文化、歴史、芸術及高質な工業製品を求めに来たのである。しかし、同じ彼らが、一旦国家間の政治対立、領土紛争の政治問題に巻き込まれてしまうと、国民性の一面が忽ち現れ、敵視、憎悪、攻撃心の一面が自ずから現れる。
このように、同じ人間には、互いに違う人間性と国民性という二つ価値観が有り、愛国主義教育を通じて、両者は混合され、同じ人間の思想、行動に同居する特徴が現れる。時には愛、時には恨、ある場で友達になり、ある場で反目して敵にもなる。隣人に対して愛、平和、友好を訴えるのは人間性であり、歴史の怨恨を忘れるな、国益のため闘おうと要請するのは愛国主義が育てた国民性なのである。こうして、人間性と国民性が錯綜し、一体どの部分は自然に生まれた人間性であり、どの部分は二次的に教えこまれた国民性であるかは普通の人々が弁別できない。これは、アジア各国の民衆間の歴史認識の現状ではないか。
戦後75年、国際関係が緊張化し、世界は再び大国の覇権政策の争いに巻き込まれた現在、我々は、もっと真剣に、世界にはこびる褊狭的ナショナリズムと愛国主義の危険性を考える必要があるのではなかろうか。
[1] 南京事件(南京大虐殺)の被害者を追悼するために、2014年、中国全人代が設けた国民記念日である。毎年12月13日、南京で記念式典が開催される。
[2] これは専制的、全体主義的国家制度下の特徴。
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